「企業で働く、30代の後輩たちへ」 | 早稲田大学 校友会
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特別企画:早稲田卒業から10年 これまでを振り返り、次を見据える卒業10年。


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Interview

ビジネスリーダーのアドバイス

武田薬品工業株式会社 会長 長谷川閑史
「企業で働く、30代の後輩たちへ」

日本最大の製薬企業・武田薬品工業株式会社。230年以上の歴史を持つ同社をグローバル・メガファーマへと飛躍させるべく、CEOをはじめとする要職に外国人を据えるという、日本企業では類を見ない大胆な改革を断行した長谷川閑史会長。
政治経済学部OBであり、新卒入社から財界きっての国際派経営者となった長谷川会長に、早稲田大学卒業後、同じように企業人として働く30代の後輩に向けて、今、伝えたいことを聞いた。

Interview 1

30代、私のチャレンジ

Q 若い頃、どのようなビジョンがありましたか?

入社当時の私には「何かやりたい」「今後こういうことをしたい」というビジョンはありませんでした。武田薬品に入ったのも、たまたま誕生日に採用の電話をくれたというだけの理由。脳天気な学生がそのまま社会人になったというところでしょうか。

最初に配属されたのは人事です。兵庫県にある500人規模の工場の勤労課でのびのびと働いていました。唯一大変だったのは毎月発行される工場報の制作。取材・編集・撮影全てを一人でやっていたんです。イラストを描く女性が欠勤すれば、それも自分でやることに。「よくこんなものを読むな」と思えるような、めちゃくちゃなものでした(笑)。職場風景を撮影して帰ってみると、フイルムが入っていなかったこともありました。三交代のシフト制で、全員が集まることは滅多になかったので、「もう一度集まってくれ」と言ったときはものすごく怒られたのを覚えています。その一件で、社内では有名になってしまいました。

工場で3年間勤務した後、本社の人事に異動して採用を担当。ちょうど会社の業績が悪く、大卒採用をストップしていたので、断り状を書くことばかりの毎日でした。その他、労働組合との折衝や、賞与査定に基づいた予算の算出もやりました。そろばんの数字は10回やって10回間違うほど計算が苦手だったので、私にとってはハードでしたね。



苦戦しながらも目の前の仕事に取り組んでいるいるうちに、あっという間に30歳に。ちょうどその時、労働組合から声が掛かったんです。「人事は年を取ってからでもできるけど、労働組合は今しかできない」と引き受けることにしました。そこから8年間、労働組合専従者として働きます。

組合では、労働条件の改善計画を作ったり、若手社員に組合に参加してもらうためにお茶会やスキーなどのイベントを企画したりと、貴重な経験ができました。多くの企業の労使関係を調査・分析し、どのように自社に取り入れていくかを考えたことは、経営者となった今にも生きています。3年目から本社支部長として裁量を与えられ、講演会や勉強会では自分の会いたい著名人を招くなど、自由な働き方をしていました。

私は幼少の頃から「ああしろ、こうしろ」と言われるのが嫌なタイプ。どこで働いても自由にやらせてもらいましたが、その分失敗も多かったです。人事の時、賞与を誤って多く渡して大問題になったこともありました。海外では、上司の荷物を間違えて捨てたり、パーティーの日付を間違えて会場を予約したこともあります。毎回、ひたすら平謝りしてばかり。そんな中でも「命までは取られないんだし、一生懸命やった結果失敗してもしょうがない」という考えをずっと持っていました。こうした考えは生まれつきの性格なのだと思います。


長谷川会長・30代の行動指針




Interview 2

30代のうちにやっておくべきこと

Q 30代の後輩に何かアドバイスはありますか?

簡単です。「先を読め」ということです。

ビジョンを持たなかった私が変わったのは、労働組合にいた30代の頃。賞与の交渉などで役員と話す機会が多く、会社の実態が徐々に分かるようになりました。また、会合や勉強会であらゆる人と交流を深めるうちに、自分の会社を客観視できるようになったんです。当時はオイルショックをきっかけに日本が低成長になり始めた時代。日本の人口減少や他国の発展を見て、「日本の市場はいずれ行き詰まる。これからは海外だな」と確信したんです。

それで、労働組合から会社に復帰する際に国際事業部を希望しました。とはいえ当時は国内事業が圧倒的に本流。国際事業部は語学の専門家のような人たちばかりです。人事に戻るのが普通の考えなので、私はかなり変わり者に見られていたでしょう。でも、グローバル化の先兵となるには、早く始めなければならないと思いました。それまでの私は、「これがしたい」と主張をしたことがなかったので、国際事業部への異動が唯一希望したことです。最初は部長に「歳をとった人間はいらん」と言われましたが、「何か役に立つかもしれないから」と頼み込みました。

グローバル化が進んだ今、振り返ってみると良い判断だったと感じますが、最終的な決め手は勘でした。国内事業に移って、入社以来活躍している社員の中で、途中から入った自分が飛び抜けられるわけがないだろうなという、普通の考えなんですよ。

30代の皆さんは、自分のマーケットバリューを高めることを考えると良いでしょう。自分が売れる製品になるために自分を仕立てなければならない。今どきの30代であれば、ヘッドハンターから声が掛からないのを寂しいと感じるべきです。


Q 国際事業部に異動後、努力したことは?

目の前に明確な壁がある場合、自分の欠点を見つめて能力を補完することが大切です。私の場合、海外に出ることが目標でしたから、そこに一直線に向かいました。

まずは英会話。英会話教室に通い必死で勉強しました。話すだけではなく、タイプもしなければなりませんので、英文科を卒業した妻のタイプライターを使って練習しました。だから今もちゃんと10本指で打てますよ。もう一つ勉強したのは、1980年後半に入ってきたコンピューターです。当時最先端だったIBMの5550をいち早く覚えました。それまで手作業だった事業計画表をスプレッドシートにすることで、効率が格段に高まりました。そうした努力の原動力は、とにかく「楽をしたい」ということ。英語が話せて、コンピューターを使いこなせば、ゆくゆくは早く仕事ができるような気がした。そうして40歳になった時、ドイツに転勤することができました。

環境が変わる時はいつでも、自分の力で新しい仕組みをつくったり、改善をしたりしたい気持ちがありました。海外事業部では、作業標準というマニュアルを作成。昔の組織は「自分たちのノウハウは教えない」「仕事は盗むもの」という意識が強く、非生産的だったんです。そこで事業計画に必要な手続きをまとめて書類にし、引き継ぎの際にそれを渡せば全て分かるようにしました。ロジカルに現状を検証し、古い習慣を改革する。そうした努力が国際競争を勝ち抜くために重要です。


30代が意識するべき三カ条

Interview 3

トップを目指す君たちに

Q 経営者になるために必要なことは?

経営の基礎として、財務諸表を完璧に理解できなければなりません。その上で、事業戦略をしっかりと把握してください。また、人材開発・育成などのスキルを都度必要な時に身に付けていく。とにかく自分に欠けているものを補っていくとよいでしょう。今は気軽に学べる時代です。海外に行かなくてもMBAを取得できるコースがあるし、マーケティングの勉強をしようと思えばいくらでも講座がある。英会話も、スカイプなどを活用して海外のインストラクターに学べばお手軽です。先日乗ったタクシーの運転手もやっていました。オリンピックに備えているのでしょう。30代の企業人がそのぐらいの努力はしないのは、少々努力不足です。

トップに立つ人間は、成果に対してきちんと評価を下すことも大切です。コンプライアンスを守り結果を出す。それがビジネスの世界では鉄則です。人に好かれたり、尊敬される人が望ましいことは言うまでもないですが、そうでない人でも結果を出せば評価をするべきです。相性の悪い人は飲みに行かなければよい。自分の主観を仕事に持ち込んではいけません。

経営者に成るには運も必要です。ただし運をつかむには、努力を重ねてチャンスがきた時の準備をしなければならない。ロジカルに物事を考え、導き出した道をコツコツ懸命に取り組んでください。計算通りにいかないことも多いでしょう。でも、何となく「こういうことをやっておいた方がいいかな」と思うようなことがあれば、すぐにお金と時間を投資してでもやっておくべきです。努力を続ければ、きっと副次的な効果が生まれます。


経営トップを目指すための条件

Profile

はせがわ・やすちか ● 1946年山口県生まれ。70年政治経済学部卒業。武田薬品工業に入社後、工場勤労課、人事部、労働組合、国際事業部などを経験。2015年6月より同社取締役会長。経済同友会代表幹事、日本経済団体連合会評議員会副議長、産業競争力会議民間議員などを歴任。




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